ホンモノの800m選手になる!
こんばんは。
秋田にコメダ珈琲ができたようですね、僕が秋田に引っ越してきたときはセブンイレブンもなかったのに。ついでロフトやスイパラもできるし「秋田なんもないよー」なんて言えなくなってきてます。
とか言いつつ、関東に来て1年経つ今でもコメダ珈琲は行ったことないのです。
さて、思い出話もいよいよ最後です。
高校時代 Part3
インターハイ予選を終えて、秋田県選手権とインターハイ本番を最後に控えた僕は、6月にしてまだ進路についてほとんど考えていませんでした。両親を心配させているのはわかっていても、どうしてもインターハイのことで頭がいっぱいで勉強にも身が入らなかったのです。
そんな中、駅伝の支部大会に出場した際、秋田高校のOB会で慶應大学卒というMさんから僕の道を拓く言葉をいただきました。
「慶應で陸上をやらないか。日吉で三浦くんが練習しているところを見たい」
最初は学力的に慶應なんて勉強しても間に合うはずないし、そもそも大学なら(一応)国公立大志望だった僕に私立大なんて縁がないものと思っておりました。
しかし、両親が「いんでね?」とあっさり快諾したので、浪人覚悟で文学部を目指すことにしました。
その後、それを見計らっていたかのように慶應の競走部から勧誘パンフレットが高校を通して届いたのです。すぐさま(のちの先輩となる)学生の方とコンタクトをとり、最終的にはSFCのAO入試を受けることを決意し、書類を提出してからインターハイの行われる岡山へと旅立ちました。
予選は2着で余裕を持ってフィニッシュし、自己ベストを更新しました。
1分52秒09です。これが僕の高校PBとなり、高校ランキングは8位となりました。
予選が終わってまともに休む暇もなく準決勝のアップに向かい、顧問も「今まで見て来た中で一番動きが良い」と背中を押してくれました。これでいける、もう何も怖くない、ここを頑張れば決勝、表彰台…
表彰台?入賞?
招集場へ向かう途中、その言葉が僕を襲いました。
(今日高校で初めて全国大会に出るこの僕が、全国大会で入賞だと…本当にそれで良いのか…?)
これを読んでる方には、バカバカしく思えるでしょう。書いている僕でさえ呆れて絶句してしまうほどです。しかし、今年のレースであまり緊張をしてこなかった僕がここにきて急に縮こまり、この冷静さの欠いた思考を拭いきれず、足を竦ませてしまったのです。
気づいたら、もう自分は真っ赤なトラックの上にいて、走り出していた。1週目は57秒のスローペース、自分が前に出ることもできたのに怖気付いて集団の後方に回った。600mを通過すると一気にペースが上がり、最後のスパート合戦に入ろうとした。
そこで僕はやっと目が醒めた。まだ疲れていない、誰よりも速く走れる。
そう思った時にはもう時すでに遅し。他の選手と足が絡まり、その瞬間、視界がトラックの赤から空色の青に変わった。最初何が起こったのか自分でもわからなかった。
転倒したのです。
↑動画ありました。
もっと器用に走れるようになりたい。
結局、秋になり国体に出ることも決まったのですが、1ヶ月前にミニハードルに足を躓かせ靭帯断裂。完治しないまま強行出場となりましたが、結局予選で組の最下位となり、高校生としての陸上人生に幕を閉じました。
不幸中の幸い、というより幸いの分量が多いのですが、国体直前に慶應大学の合格が決まり、4月から慶應の名前を背負って、競走部の一員として競技を続けております。
1年目のシーズン前半は、うまくいかないことも多々ありましたが、秋に入り愛媛国体ではインターハイぶりに自己ベストを更新し、あの日以来幾度となく僕を苛んだ悪夢をようやく断ち切ることができました。
今の自己ベストは1分50秒94です。
インターハイ以来、強い選手というのはただ速いだけでなくて、ペース、周囲のライバルの様子、位置どりなどが実に巧緻であることに加え、何より勝ちに行くという意志をどれだけ強く持っているかが勝敗を分けるのだと悟りました。
あの日のような中途半端な800m選手とはおさらばして、ホンモノの800m選手になるのが、僕の大学の目標です。
5日間お付き合いいただきありがとうございました…!
春休みで時間があり、かねてから文章を書く習慣をつけたいという思いで始めたブログでしたが、とても楽しいです(笑)。
これから、陸上にとどまらず様々なジャンルから執筆していきたいと思っておりますので、ぜひこれからもお付き合いください!!!
ではでは(^^)/