「美しき2分」との出会い
こんばんは、「今日は寒いね〜」と言われると「秋田では今日は最高気温2℃らしいよ」と心にもないことを言ってしまう、天道(タカミチ)です。
さて、昨日は陸上を始めるきっかけとなる、小学生時代のことを話しました。
中学時代の陸上を回顧していきます。
小学生時、校内のマラソン大会を総ナメにした僕が中学校で陸上部に入り長距離をやっていこうと決心するのに少しも時間はかかりませんでした。
僕の中学校は家からとても近所で、点数争いに参加することさえままならない弱小校でした。
とりあえず初心者用スパイク・エフォートを買ってもらい、夏の秋田市中総体に出場すると、
1年1500m優勝!
タイム?そんなの恥ずかしくて教えられません。当時同い年の女子にとても速い選手がいて、彼女と大差なかったほどなのですから。
当然天狗になるわけです、そうしたら1ヶ月後の秋田県中総体で、
組で後ろから2、3番目くらいで予選落ち。。。
今はどうかわかりませんが、秋田県の中学校の長距離の傾向として、県南や県北が強く、秋田市はたまに県で入賞できる人が現れる程度。
市内では強くても、県大会では太刀打ちできない…その程度の選手になると思っていました。
ところが、新人戦を前にした記録会で、2つ上のN先輩から鶴の一声が。
「たかみち、800やってみたらどう?」
長距離の練習をしながら短距離もある程度速く、4×100mリレーのメンバーであった(弱小校あるある)僕を見て、そう言ったのでしょう。
そして迎えた市の新人戦では共通種目(1~3年まで学年ごとに分けない種目)の800mに出場し、3位に入りました。
それから間も無く、まだ2分10秒ほどでしたが、この短いとも長いとも言えない距離に夢中になっていったのです。
2年時は、通信大会で憧れの3年生の選手に食らいつき、2分2秒まで一気に縮めました。
(県総体では400mに出場。選手層の薄かったこの種目で東北大会を狙い、4位に入って初めての東北大会に出場…というのはまた別の話。)
それをきっかけに僕が目標としたのは、かつて頭の隅にも入れてなかった『全国大会』でした。
「1年で8秒も縮めたんだ、3年生になったらもう2分を切るどころじゃすまないだろう😏ニシシ」
と目論んで臨んだ3年生の市春季大会。まだ桜も咲かない4月の雨の日でした。
残り200mでスパートをかけて残り30mのところーー
右のお尻の背中の間のあたりの一本の糸がプツって切れるような感覚を覚え、その刹那に激痛が走り惰性でゴールラインを超えた直後に倒れ込みました。
それから怪我を治すのに専念し、ほとんど練習をしないまま中総体を迎えました。
全国大会(今後は全中と言います)に行くためには、県総体か県通信大会の中で標準記録を切らなくてはなりませんでした。
当時の標準記録は、800mは2分1秒50。
県総体では予選から決勝まで記録を狙っていきましたが、切れず終い…通信大会の一本に残されました。
スタートし、400m通過は58秒、想定どおり! 2周目に入り急にタイムが落ちてくるので、とにかく足を掻いた。600m通過した頃にはもう足が酸欠になり、しっかり地面を踏めないでふわふわしたような感覚になりながら…でも足掻いた!
ゴールに設置されたフィニッシュタイマーに表示されたタイムは…
2:01:30
やり遂げた…最後の最後で目標を達成させることができました。
ほら嬉しそうでしょう()
全中は、名古屋でした。
秋田県人には耐えられぬほどの酷暑に負けず、何とか自己ベストを更新して清々しく予選落ちいたしました。
最終的なタイムは、2分0秒36(間違ってたらごめんなさい)。
これで、中学篇は閉幕となります。
ご精読ありがとうございます、
次は高校の話をします!
もーっと濃いので多分2回に分けます!