雪の滴る音が好き

KO大学。陸上中距離とピアノ中心の生活をしています。たまに哲学をしたくなります。あと、発作的に抹茶スイーツを食べたくなりがち。

寒いですね。

こんばんは。少し間が空きました。

またブログ書く習慣がつかないので「今日はいいや」と投げやりになりがちです。

 

 

高校までは、「これとこれとこれを何時までにやる」という習慣がちゃんと付いていて、それが良い生活に繋がっていて、結果、ピアノの練習だとか、陸上の練習だとかを質の良いものにできていました。

 

大学生になってからというもの、それが上手く出来ておらず、それを直そうと思ってもなかなか出来ないんですよね。

 

やはりまだ自律的な生活習慣を身についていなかったのだと思います。

 

僕の高校時代は平日23時前には就寝し、5時前に起きて「自主的に」ピアノと陸上の朝練をしたのですが、そんな僕がいざ大学生になって一人暮らしをしてみると、イレギュラーな予定が入ることが多くなり、その多くが夜遅くなるので直そうと思ってもなかなか難しいのです。それは仕方ないとして、そういった日のほかにも、あまり自律的な生活習慣がなされていなかったことに気付きました。

 

 

ここからはあくまで僕個人の話ですがーー

 

やはり朝起きるのが遅いと、なんだか生活が怠惰になってしまうような気がします。

僕が幼少期から朝早く起きる習慣が付いていた故からか、寮の朝食や部活に間に合うようなギリギリな起床をすると、まるでそれに縛られた自律のない生活習慣になる気がします。結局部活が14時頃に終わるとその日のやることは全て終わってしまったかのように昼寝して、気づいたら日が暮れている…なんてことがよくあります。

 

そうなってくると、寮の朝食も部活もない日、昼近くに起きると、まるでその日一日を棒に振ってしまったかのような喪失感に見舞われ、もう何もやる気が起こらなくなるのです。

(たまにするのは良いことかもしれませんが)

 

 

自分の所属や、所在における生活に自分がコントロールされているという状況は僕はあまり好みません。好まないけど、やはり睡眠の力には勝てないんですね。しかし、そこを自発的に行動を起こし、いわゆる『朝活』をすることで精神的な充足感を得られて、その日が良い日になる気分になります。そういった自律の蓄積が自信に繋がっていくのかなと思います。

 

※あくまで僕の経験から語られる自論であって、読者の中には昼夜逆転の生活が肌に合う方がいらっしゃるかもしれませんが、、、

 

2月から大学の春休みになって、生活習慣には気をつけて行きたいと思っていて、まず7時前には起床し、なんらかの作業をしようと決めています。

 

 

 

草津温泉に行ってきました

 

毎日いろんなスケジュールがある中で毎日更新し続けるブロガー、YouTuberの方々ってすごいなと思います。

さて、更新していなかったのは、僕の所属するピアノサークル・慶應義塾大学ピアノ・ソサィエティーの冬合宿に参加していたためです。

 

はじめての草津温泉

今日はそのエピソードを語ろうと思っていたのですが、文字数多くなってしまったのでまた明日👋

 

写真が何もないとなんだか味気ないので、草津で食べた抹茶パフェを置いておきます。

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研がれる空

こんばんは。

今日の横浜はとても寒かったですね。最高気温3℃、最低気温0℃。

地元・秋田の冬の標準的な気温はこんな感じです。

ですから外に出てみると、地元の空気感ーー行きすぎない寒気にちょうど良い湿度、そして空の暗さーーどれをとっても今日は地元そのまんまでした。

 

それはそうと

 

先日、一泊二日で新潟に行ってまいりました。僕の友人Tが研究でよく行くということで、今回同行させてもらいました。

新潟の燕三条で新しい出会いをしました。そのことは後ほど書くつもりです。

 

燕市から10kmほど車で行ったところに西蒲原郡弥彦村という村がありまして、そこを主に観光しました。

弥彦温泉に浸かり、弥彦神社で祈祷し、最後に向かったのは弥彦酒造。

 

日本酒にハマっていて、近場で行ける酒蔵を訪問してみたいと思い、来てみたのですが…残念ながら、その酒蔵での見学や直売はしていないとのこと。

まだ二十歳になったばかりで、初めての酒造見学はここかと楽しみにしていたのでしたが、それはまた先に持ち越しのようです。

近くの酒店で買っていきました。弥彦酒造の方に教えていただいたそこの酒店は、そこで醸造したたくさんの種類の酒が売っていました。

買ったのはこれ👇

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こしのはくせつ 特別純米酒

雪のような柔らかな舌触りでするすると喉を通るので飲みやすい。鼻に抜ける感覚が少しばかりスモーキーで落ち着いた酸味を味わえます。とっても美味しい。

 

新潟は日本酒出荷量が全国3位で、淡麗辛口が特徴。こしのはくせつもそれに類するが、その中でもかなり優しい。

1838年創業の歴史ある酒蔵。日本酒はあくまで脇役というスタンスで、強い主張をせず美味しさの感度を整える存在であるようにしているのだとか。長い伝統を持つこの酒蔵だからこそ本来の日本酒のすがたを大事にしているのでしょう。

 

 

また別の売店に行きました。

刃物を取り扱っているお店です。新潟県の県央地域は金属加工製品の一大生産地だとか。

普段の僕の生活圏内ではなかなか見かけないものばかりの品揃えでその美しさに目を奪われました。

 

不思議です。

包丁やナイフ、日本刀を眺めていると心が落ち着くのです。

この上品な白銀の輝き……まるで雪のよう。

 

そういえば、この『白銀』という言葉、辞書で引くと、どうやら比喩的に「雪」の意もあるそうです。

雪のような美しさが僕の目を奪い、心を落ち着かせたのかな。

 

何か嫌なことがあったとき、冷静さを欠いた時、そこに雪がなければ刃物売り場に行けばいいんじゃないか?

あらゆる悩みをその刃先で両断し、精神を研ぎ澄ませたいものです。

 

 

今日は、雪が降りましたね。

最近の涙腺崩壊ポイント

こんばんは、お久しぶりです。

「2、3日に一本は書こう!」と意気込んで解説した当ブログですが、更新を三週間ほどしないまま今日に至る、三浦です。

先日、家族が横浜に遊びに来て、みなとみらいや中華街を案内しました。とても楽しかったです。

家族と東京で再会した際、そこが地元でもないのにそこが約束の地であったような、人ごみにいつも皺を寄せる通りがその時だけ僕の意識と離れた状態になっていることに、不思議な感覚を覚えるのです。

普段歩きなれない中華街の人ごみやみなとみらいの回廊。ひとりで歩いているといつも新鮮に映るのに、家族と歩いているだけでその道に懐かしさの灯火がきらめく。

一人暮らしを始めて一年が経ちますが、帰省する度に家族の大切が身に沁みるのであります。

 

今回は家族のことを絡ませた内容で、アニメの話をしようかと。

中学生からアニメが好きで、割と多くのアニメを観てきました。その中には僕の涙腺ダムを決壊させたアニメがあります。

しかし、今期のアニメで二つの作品に泣かされているので、過去の作品はまず置いておいて、その二つを紹介します。

 

①宇宙(そら)よりも遠い場所

TVアニメ「宇宙よりも遠い場所」公式サイト

女子高生「何かを始めたい…誰もやらないような青春をしたい…」

そうだ、南極に行こう!

 

大雑把にあらすじを言うと、こんな感じです。

しかし、その作品の中では、本当の友達はどんなだとか、何かに挑戦するきっかけだとか…大切なものを思い出させてくれたり、自分を奮い立たせてくれたりする作品で、毎回見逃せません。

何より、名言がたっくさん。名言がたくさん生まれるアニメは名作らしいって電車の向かいに座った人が言ってた。

先日視聴した12話『宇宙よりも遠い場所』に、僕は涙を流さずにはいられませんでした。

 

ーー南極から帰らなかった母を求めてやってきたヒロインの高校生・報瀬にまつわるエピソード。

母が南極から帰らなかったあのときからずっと醒めない夢の中にいる。その夢は南極に来ることで、母が愛したその場所に行くことで醒めると思っていた。でも南極にやってきた今も夢は醒めることなく続いている。もし母がいる場所に行ってもこの夢が醒めなかったら、そう考えると怖くてたまらない。母の元へと向かう最後の旅が始まる。

 

これが12話のあらすじ。昭和基地からブリザード吹き荒れる内陸の天文観測所へ行くことになった民間観測隊だが、あらすじのように、報瀬は躊躇ってしまう。そこはまさに彼女の母が帰ってこなくなった場所だからだ。

 

そんな時、3年前に母と一緒の隊員だった吟隊長から言われたのがーー

「どんなに信じたくなくても貴子(報瀬の母)が死んだ事実は動かない。
意思だとか生前の希望だとか言っても、それが本心なのか、本当に願っているのかは誰にも分らない。
南極に来たのは私が来たかったから。貴子がそうしてほしいと私が勝手に思い込んでいるから。
結局、人んて思い込みでしか行動できない。
けど、思い込みだけが現実の理不尽を突破し、不可能を可能にし、自分を前に進める。
私はそう思っている。
あなたもずっとそうしてきたんじゃないの?」

 

この言葉は私の心を掴んで離しませんでした。

身近にいた人の死をどう受け入れるか…そこにたどり着くまでの隊員や同じ高校生の仲間との交流に胸も熱くなります。

前に進もうと思った際、どうしても「今までやってきたことは正しかったんだろうか…方向を間違えてしまったのではないか…」と心配になるときがある。この言葉はそんな僕の気がかりを除けて、トンと背中を押してくれます。

 

本当にざっとなので、ネタバレするわけにもいかないし、あとは本編をご覧になってください😉

 

 ②ヴァイオレット・エヴァーガーデン

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式サイト

 

戦場で「武器」と呼ばれ、戦うことしか知らなかった少女の名は、ヴァイオレット・エヴァーガーデン

そんな彼女が誰よりも大切にしていた人が戦場で撃たれ、最後に聞いた言葉が

愛してる

だった。その言葉を理解できなかった彼女は、手紙の代筆を請け負う『自動手記人形』となり、様々な人とのふれあいの中でその意味を探していく物語です。

 

私がつい滴を画面の前に見せてしまったのは、7話と10話です。

いずれも家族にまつわるエピソードです。

7話では、戯曲家の父が叶えられなかった亡き娘の夢を叶えるエピソード。

10話では、臨終の迫った母が娘への想いを手紙に託すエピソード。

 

この作品は、何と言っても京都アニメーションの美しい作画が特徴です。私が特に好きなのは、眼へのこだわり、美麗な背景(特に陰と光のコントラスト)、繊細なキャラの表情。作品を重ねるごとにクオリティが上がっているので、空恐ろしいほどです。

 

僕を泣かせるアニメ

今期のではないですが、CLANNAD東京マグニチュード8.0あたりも泣きました。それらに共通するのは、家族の生と死にまつわること

アニメの中の世界は実在したとしても、現実(三次元)とは世界線が違うし、その作品の舞台や登場人物から見て僕たち視聴者は第三者、つまり「神」の視点で鑑賞しているのです。

無数にあるアニメの中で、死んでいった(モブ含む)登場人物は星の数よりも多いのかもしれません。しかし、それを目の当たりにしてもあまり心が痛まないのはどうしてか?

 

自分たちのいる現実(三次元)の世界には、全く関係のないことだからです。

 

具体例を挙げると、毎週土曜夜6時からやってる某探偵アニメを見て今更グロテスクとも思わないでしょう。が、現実であんなの毎週見せられたら、心がすさんでしまいます。

アニメの世界で、キャラクターの命の価値というのは製作者、視聴者によって決められているのです

私の泣いたのは、リアリティのある世界観に、キャラクターひとつひとつの命に価値を与えて、時にはドラマチックに殺し、あるいは奇跡によって生かした作品なのかもしれません。

いかにその世界観を、キャラクターを「自分の世界とは関係がない、他人事でない」ように観せるかが、僕の涙腺を崩壊させるポイントだと思います。

私が泣いた作品に家族にまつわるエピソードが多かったのは、それだけリアリティがあって空恐ろしかったからなのかもしれませんね。

先ほど家族の大切さが身に沁みると言いましたが、一人暮らしだけでなく、アニメを観てさらにひしひしと感ぜられるのです。

 

ちょっと最後、文章が駆け足になりましたが、以上です。

 

P.S. ピアノの森がアニメ化されるのとてつもなく楽しみです。

ホンモノの800m選手になる!

こんばんは。

秋田にコメダ珈琲ができたようですね、僕が秋田に引っ越してきたときはセブンイレブンもなかったのに。ついでロフトやスイパラもできるし「秋田なんもないよー」なんて言えなくなってきてます。

とか言いつつ、関東に来て1年経つ今でもコメダ珈琲は行ったことないのです。

 

さて、思い出話もいよいよ最後です。

高校時代 Part3

インターハイ予選を終えて、秋田県選手権とインターハイ本番を最後に控えた僕は、6月にしてまだ進路についてほとんど考えていませんでした。両親を心配させているのはわかっていても、どうしてもインターハイのことで頭がいっぱいで勉強にも身が入らなかったのです。

そんな中、駅伝の支部大会に出場した際、秋田高校のOB会で慶應大学卒というMさんから僕の道を拓く言葉をいただきました。

慶應で陸上をやらないか。日吉で三浦くんが練習しているところを見たい」

最初は学力的に慶應なんて勉強しても間に合うはずないし、そもそも大学なら(一応)国公立大志望だった僕に私立大なんて縁がないものと思っておりました。

しかし、両親が「いんでね?」とあっさり快諾したので、浪人覚悟で文学部を目指すことにしました。

その後、それを見計らっていたかのように慶應の競走部から勧誘パンフレットが高校を通して届いたのです。すぐさま(のちの先輩となる)学生の方とコンタクトをとり、最終的にはSFCAO入試を受けることを決意し、書類を提出してからインターハイの行われる岡山へと旅立ちました。

 

予選は2着で余裕を持ってフィニッシュし、自己ベストを更新しました。

1分52秒09です。これが僕の高校PBとなり、高校ランキングは8位となりました。

 

予選が終わってまともに休む暇もなく準決勝のアップに向かい、顧問も「今まで見て来た中で一番動きが良い」と背中を押してくれました。これでいける、もう何も怖くない、ここを頑張れば決勝、表彰台…

 

表彰台?入賞?

招集場へ向かう途中、その言葉が僕を襲いました。

(今日高校で初めて全国大会に出るこの僕が、全国大会で入賞だと…本当にそれで良いのか…?)

これを読んでる方には、バカバカしく思えるでしょう。書いている僕でさえ呆れて絶句してしまうほどです。しかし、今年のレースであまり緊張をしてこなかった僕がここにきて急に縮こまり、この冷静さの欠いた思考を拭いきれず、足を竦ませてしまったのです。

気づいたら、もう自分は真っ赤なトラックの上にいて、走り出していた。1週目は57秒のスローペース、自分が前に出ることもできたのに怖気付いて集団の後方に回った。600mを通過すると一気にペースが上がり、最後のスパート合戦に入ろうとした。

そこで僕はやっと目が醒めた。まだ疲れていない、誰よりも速く走れる。

そう思った時にはもう時すでに遅し。他の選手と足が絡まり、その瞬間、視界がトラックの赤から空色の青に変わった。最初何が起こったのか自分でもわからなかった。

転倒したのです。


2016 岡山インターハイ陸上 男子800m準決勝2

↑動画ありました。

 

もっと器用に走れるようになりたい。

結局、秋になり国体に出ることも決まったのですが、1ヶ月前にミニハードルに足を躓かせ靭帯断裂。完治しないまま強行出場となりましたが、結局予選で組の最下位となり、高校生としての陸上人生に幕を閉じました。

 

不幸中の幸い、というより幸いの分量が多いのですが、国体直前に慶應大学の合格が決まり、4月から慶應の名前を背負って、競走部の一員として競技を続けております。

1年目のシーズン前半は、うまくいかないことも多々ありましたが、秋に入り愛媛国体ではインターハイぶりに自己ベストを更新し、あの日以来幾度となく僕を苛んだ悪夢をようやく断ち切ることができました。

今の自己ベストは1分50秒94です。

インターハイ以来、強い選手というのはただ速いだけでなくて、ペース、周囲のライバルの様子、位置どりなどが実に巧緻であることに加え、何より勝ちに行くという意志をどれだけ強く持っているかが勝敗を分けるのだと悟りました。

あの日のような中途半端な800m選手とはおさらばして、ホンモノの800m選手になるのが、僕の大学の目標です。

 

5日間お付き合いいただきありがとうございました…!

春休みで時間があり、かねてから文章を書く習慣をつけたいという思いで始めたブログでしたが、とても楽しいです(笑)。

これから、陸上にとどまらず様々なジャンルから執筆していきたいと思っておりますので、ぜひこれからもお付き合いください!!!

 

ではでは(^^)/

陸上を極めたくて②

こんばんは、電話の着信音が鳴ったと思ったら、実はテレビのドラマやアニメの中の着信音だったってこと、よくありませんか?

こんにち、LINEやSNSが連絡手段の主軸なものですから、電話が来ると、緊急事態かと思って息を呑んでしまうんですよね。

 

それはさておき、昨日に続いて、

高校時代の陸上を回顧していきます! Part2

高2のインターハイ予選を前に盲腸になって入院してしまった僕ですが、退院後、とにかく焦らずに身体を戻していこうと顧問の先生と相談のもと二度目の東北新人に照準を当てて練習を再開しました。

 

県新人ではなんとか1位を死守するも、容易く破れていたはずの2分の壁にまた閉ざされました。

それでも、あくまで照準をその後に当てていたからでしょうか、東北新人でなんとか1分58秒まで戻しました。昨年、ガチガチに緊張していましたが、落ち着いて走ることができましたし、これなら確実にインターハイは目指せると思いました。

 

さて、怒涛の2年目シーズンが終わり、入院前とほぼ同じ走力まで戻した僕は、1年目のオフシーズンの反省をしました。

そうすると、持久力の無さが浮き彫りに。

800m選手には、400mと兼ねる『短距離型』と1500mと兼ねる『長距離型』に大きく分かれます。

もともと僕は中1以来「自分は800m一筋でいく」と1500mから逃げるように400mと一緒に800mを走っていたものですから、とにかくスピード重視で持久的な練習をほとんどしていませんでした。しかし、その割に800mをカバーできるだけのスピードが足りていなかったのです。

顧問にも指摘され、まずは「朝練で30分だけでもいいからジョグをしろ」と言われ、実行に移しました。そして午後の練習は主に短距離ブロックの練習に混ざりました。

スピードと持久力の両立を図ったのです。

 

ちょうど、陸上の他に3月にピアノリサイタルを控えていて、ピアノの練習時間も削るわけにはいきませんでした。しかし、部活が終わって夜に帰って来ると近所迷惑であまりピアノの練習ができません。

そこで僕の11月から3月までの一日の日程はこうなりました。

4:30 起床

4:50 ジョグ

5:30 朝飯

6:10 学校へ、到着したら音楽室でピアノの練習

8:00 授業

20:00 部活が終わって帰宅、ピアノの練習

21:00 夕食

22:30 睡眠

睡眠時間を削っては陸上の練習に支障が出るので、限られた時間の中陸上とピアノに時間を充てました。何より雪国で、冬。暗いし寒いしで朝起きるのも億劫で、6時間では全然眠った心地がしませんでした。

 

そんなこんなで冬も終わりました。あっという間だった…なんて嘘。辛すぎて長い冬だと思いましたよ。あんな生活二度としてやるものか。

 

ピアノリサイタルも無事成功を収め、3年生の初戦は横浜に遠征し、4月の日体大記録会に出場。

いきなり、1分56秒0台の大幅更新。フィニッシュタイマーを見た瞬間、唖然としました。これでも全然足の張りもないし、あまり息も上がってないし、大学側が計測し間違えたんじゃないかという失礼なことさえ考えました。

 

そうして迎えた県総体ーー

1分53秒57

 

信じがたいタイムでした。2分をやっと切るほどのタイムでしか走れなかった自分が1分53秒…このタイムを自分が持っていいものか気掛かりになるほどでした。

この大会では、自分も走ったマイルリレーで秋田高校が優勝。これも自分の800m同様、自らの予想を超える快勝で、陸上をやってきて一番充実した大会でした。

インターハイ予選はラスト勝負に負けて2位でしたが、僕の目標はいつしか『インターハイに出ること』から『インターハイで勝つこと』へ変わっていたのだのです。

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↑今よりちょっとごつかった三浦。

 

はい、今日はここまで!!

思い出話にここまで付き合っていただき、ありがとうございます、本当に😌

次回は、インターハイの悲劇、大学で陸上を続けるきっかけとなった出来事、そして今に到るまで話します。

ここまででかなりざっくり話しているものですから、いかにも『三浦天道だけがメインキャラの物語』みたいですが、もちろん、ここまでたどり着くまでたくさんの方との出会いや協力、切磋琢磨、衝突などがありました。この回顧録が終わった後は、自分がいかにこのような道を歩んだのか、失敗と成功の要因、人との付き合い方など様々な視点から話していきたいと思っております。

そんな上手い話ができるかどうか自信はありませんが。。。

ではまた次回!!

陸上を極めたくて

こんばんは、今日の横浜はとても暑かったですね。なんでも4月中旬並みの気温だとか。

関東に住むと冬でも日焼けします。日差しも強いのでサングラスをかけるのですが、周りから『サングラス焼け』をしているねと言われます。体表が黒く、目の周りが白い…そんな三浦は逆パンダ!

すみませんでした。

 

さて、中学の陸上回顧も終わったところで、

高校時代の陸上を回顧していきます!Part 1

中学時代、陸上とともにピアノにも地道に取り組んでいて、ただの『習いごと』と一言で片付けるには勿体無いくらいでした。それどころか、当時は音大に行くつもりで取り組んでいたので、高校で陸上はやらずにピアノ一筋でやってこうと思っていました。

しかし、進路を決めようと思った時の親のひとことが、

「音大に行くと大変だよ…特に男の子はね」

です。

それだけで、折れました。

今でも、笑ってしまうくらいの意志の弱さです。ポッキーのようです。

あの時の忠告に逆らうことができなかったのは、目に見えない将来に対する不安をピアノへの情熱でかき消すことできなかったからでしょう。15歳の僕はやはり一中学生でしかなく、多感であったこころには“ふらつき”があったのでしょうし、そんな中途半端な意志なら、むしろ音楽の道に進まないようが良かったかもしれません。しかし、今のこの人生に後悔している訳ではありませんが、もしそこで音楽一筋の道を選んでいたら、19歳の天道は今頃どうなっていたのだろうと考えることがあります。

 

そんなこんなで秋田高校に入学し、やらないと思っていた陸上を「続けなよ!」という周囲の勧めに流されるまま陸上競技部に入りました。

なんとなく練習して、なんとなく試合に出てみて…全中出場者であったことから期待されて、うわべでは一生懸命にやっていながらもどこかうわの空…。

 

そんな僕の心に火をつけたのは、5月末の秋田県高校総体の800m決勝。

僕は準決勝で敗退し、「まだ1年生だから」という周囲の慰めあってか悔しさの少しも滲まなかった試合直後に、決勝レースを見ました。

震えました。

中学とは全く雰囲気の違う緊張感のある駆け引きと、ラストの熾烈なスパート合戦。

僕の知らなかった800mがそこにありました。

そして何より…僕と同い年のM君が決勝で走っているではないか!

中学時代は1500m中心で800mは未経験だったというM君ですが、同学年の中では県内負けなしだった僕を差し置いて決勝を走っている…!

それが何より悔しくてたまりませんでした。

 

それから練習を積み、1ヶ月後の秋田県選手権で初めての1分台。

そして、県新人では1分57秒14で初めて県のトップに立ちました。

 

万事うまくいっている、そんな中迎えた東北新人…なんとか決勝に進むも、一日に二回800mを1分台で走る経験がなかったことに加え、有名な強豪選手を前に萎縮し不安をぬぐい切れずにガチガチに緊張して、ダントツのビリケツ…

 

「でも8位じゃん! 来年は絶対インターハイだね!」

 

周囲からのその励ましは、逆に僕を苦しめました。東北新人は、もっと強い選手が他の大会を控えていたために欠場していて、その次の年のインターハイ予選はもっと選手層が厚くなる。僕がインターハイを目指すなんて大それたことだと、腰の引けた考えを持ってしまっていました。

 

そんな中、冬を越えて、

2年生。迎えた総体シーズン。

支部大会では1分57秒台を出して記録的にはまずまずでしたが、去年負かした上級生にスパートで抜かれ、敗北を喫します。

気持ちを切り替えて県総体へ。しかしこれも3位に止まり、記録も伸びません。

「足踏みする時期も必要」

と顧問のN先生に慰められた僕の目から涙が止まりませんでした。何がダメだったのだろう。目立った怪我もなく、ちゃんと真面目に練習してきたのに。

自己ベストをコンスタントに更新し続けてきた僕からすれば、この停滞期はとても苦しいものでした。

それでも、東北総体・インターハイ予選まで駒を進めたので、あと1ヶ月頑張ろうと思いました。

 

しかし、東北総体の直前。そんな壊れそうなメンタルに追い打ちをかけるようにーー

急性虫垂炎(盲腸)発症。

 

やむなく入院。欠場を余儀なくされました。

 

おっと、おしゃべりが冗長に。

ちょっとドラマチックに話してますが、これでいいのです。

過去の自分なんて美化した方が面白い。脚色はしていませんよ、事実です。

 

それでは、また次回!高校篇は続きます。。。

 

P.S. 秋田高校の桜並木がとても美しいので、ご覧ください!

  そして、秋田高校3年生の皆様、ご卒業おめでとうございます!!!

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「美しき2分」との出会い

こんばんは、「今日は寒いね〜」と言われると「秋田では今日は最高気温2℃らしいよ」と心にもないことを言ってしまう、天道(タカミチ)です。

 

さて、昨日は陸上を始めるきっかけとなる、小学生時代のことを話しました。

中学時代の陸上を回顧していきます。

小学生時、校内のマラソン大会を総ナメにした僕が中学校で陸上部に入り長距離をやっていこうと決心するのに少しも時間はかかりませんでした。

僕の中学校は家からとても近所で、点数争いに参加することさえままならない弱小校でした。

とりあえず初心者用スパイク・エフォートを買ってもらい、夏の秋田中総体に出場すると、

1年1500m優勝!

タイム?そんなの恥ずかしくて教えられません。当時同い年の女子にとても速い選手がいて、彼女と大差なかったほどなのですから。

 

当然天狗になるわけです、そうしたら1ヶ月後の秋田中総体で、

組で後ろから2、3番目くらいで予選落ち。。。

今はどうかわかりませんが、秋田県の中学校の長距離の傾向として、県南や県北が強く、秋田市はたまに県で入賞できる人が現れる程度。

市内では強くても、県大会では太刀打ちできない…その程度の選手になると思っていました。

 

ところが、新人戦を前にした記録会で、2つ上のN先輩から鶴の一声が。

「たかみち、800やってみたらどう?」

長距離の練習をしながら短距離もある程度速く、4×100mリレーのメンバーであった(弱小校あるある)僕を見て、そう言ったのでしょう。

そして迎えた市の新人戦では共通種目(1~3年まで学年ごとに分けない種目)の800mに出場し、3位に入りました。

 

それから間も無く、まだ2分10秒ほどでしたが、この短いとも長いとも言えない距離に夢中になっていったのです。

 

2年時は、通信大会で憧れの3年生の選手に食らいつき、2分2秒まで一気に縮めました。

(県総体では400mに出場。選手層の薄かったこの種目で東北大会を狙い、4位に入って初めての東北大会に出場…というのはまた別の話。)

それをきっかけに僕が目標としたのは、かつて頭の隅にも入れてなかった『全国大会』でした。

「1年で8秒も縮めたんだ、3年生になったらもう2分を切るどころじゃすまないだろう😏ニシシ」

と目論んで臨んだ3年生の市春季大会。まだ桜も咲かない4月の雨の日でした。

残り200mでスパートをかけて残り30mのところーー

右のお尻の背中の間のあたりの一本の糸がプツって切れるような感覚を覚え、その刹那に激痛が走り惰性でゴールラインを超えた直後に倒れ込みました。

 

それから怪我を治すのに専念し、ほとんど練習をしないまま中総体を迎えました。

全国大会(今後は全中と言います)に行くためには、県総体か県通信大会の中で標準記録を切らなくてはなりませんでした。

当時の標準記録は、800mは2分1秒50。

 

県総体では予選から決勝まで記録を狙っていきましたが、切れず終い…通信大会の一本に残されました。

スタートし、400m通過は58秒、想定どおり! 2周目に入り急にタイムが落ちてくるので、とにかく足を掻いた。600m通過した頃にはもう足が酸欠になり、しっかり地面を踏めないでふわふわしたような感覚になりながら…でも足掻いた!

ゴールに設置されたフィニッシュタイマーに表示されたタイムは…

 

2:01:30

 

やり遂げた…最後の最後で目標を達成させることができました。

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ほら嬉しそうでしょう()

 

全中は、名古屋でした。

秋田県人には耐えられぬほどの酷暑に負けず、何とか自己ベストを更新して清々しく予選落ちいたしました。

最終的なタイムは、2分0秒36(間違ってたらごめんなさい)。

これで、中学篇は閉幕となります。

 

ご精読ありがとうございます、

次は高校の話をします!

もーっと濃いので多分2回に分けます!